日本の佐藤栄作首相の有名なエピソードをご存知でしょうか?
佐藤栄作首相がアメリカに行った時に、当時のアメリカの大統領であるニクソン大統領からある注文をつけられました。
それに対し、佐藤首相は「善処する」という曖昧な回答をしたそうです。
これを通訳者が「やります」と訳してニクソン大統領に伝えたそうです。
しかし一向に進展がなかったためアメリカ側から抗議があり、その時に言った言葉が、
「善処とは肯定的な言葉ではあるけど、「やる」とは言ってない」
という回答をアメリカ側に出したそうです。
このエピソードが物語っていることは、シンプルにただ1つです。
それは日本には曖昧な表現が実に多いという点です。
私自身、韓国とオーストラリアに2年間ぐらい住んでいますが、日本語ほど自分の意思表示を間接的に表現する国は他にないのではないかと考えています。
世界中の国行ったことはないのでよくわからないのですが、オーストラリアで色々な国の人たちと話してみてわかったことでも、
”日本人の間接的な表現がコミュニケーションを取る上では、
マイナスに働く場面が多いな”
この部分を強く感じるのです。
今回は日本語の曖昧さが韓国では一体どんなミスコミュニケーションになるのかについてお話させて頂きます。
日本だけで通用する日本語は、世界では通用しないということも覚えておかなければいけないと思います。
少なくとも私の子供は日本人と韓国人のダブルなので、きちんと伝えていこうと考えています。
そうは言っても、私自身も曖昧な表現を多用しているタイプなので、なかなか曖昧な表現が抜けません。
ですが今回は日本の曖昧な表現が韓国人に与える影響について簡単にまとめてみます。
日本語の”そうですね”
日本人が多用する言葉の1つに”そうですね”という言葉があります。
”そうですね”という言葉を少しイメージしてもらいたのですが、
「そうですね」には主に2つの意味合いがあると考えています。
1同意する意味
2判断に迷った時に使われるクッションワード
この2つの使われ方が主だと考えています。
ここで、注意しなければいけないのが、これは日本人としてのニュアンスだという点です。
ですので、”そうですね”という意味合いが無条件に「同意する」といういみにとられては困るわけです。
そうですね |
글쎄요 |
韓国語で”そうですね”を意味する単語に글쎄요があります。
この글쎄요には「うーんどうしようかな・・・」というニュアンスがあります。
ですので、返事に迷ったとkにも使えますし、自分の意見を強調する時にも使えます。
ですので日本語の「そうですね」とは若干の違いがあると認識した方が良いです。
曖昧表現”考えてみましょう”
日本語の曖昧表現の中に”考えてみましょう”という意味のわからない表現があります。
私は正直この「考えてみましょう」という表現が大嫌いです。
この「考えてみましょう」は日本では一般的には「ダメだ」という暗黙の了解があると私は認識しています。
もちろん、使われる場面によって状況や意味合いは変わってくるとは思いますが、基本的なスタンスとして「考えてみましょう」と言われれば、答えはつまり”NO”という意味になります。
個人的には、
”だったらダメだ!”
と直接言ってくれよ!
と思ってしまいます。
日本語にはこう言った曖昧でわかりにくい表現が非常に多いと思います。
この表現が問題になってくるのは、日本でしか通用しない表現だという点です。
考えてみましょう |
생각해 보겠습니다 |
「考えてみましょう」という単語を韓国語に置き換えて考えてみます。
フォーマルな表現にはなりますが「考えてみましょう」を韓国語に訳してみると”생각해 보겠습니다”と訳すことができます。
ですが、この表現をそのまま使って韓国人に使うと、
”オッケイ”
という表現に捉えられます。
”考えてみる”ということは私たちとの交渉には前向きだと判断してくれている。
このように捉えられてしまいます。
例えば、プロジェクトなどを行う際に「考えてみましょう”생각해 보겠습니다”」と返事を出したとすると韓国人の頭の中では、
”オッケイなのでその方法について前向きに考えて、
一緒にプロジェクトなどを遂行していきましょう”
このように捉えられます。
つまり、日本語の「考えましょう」とは全く違った解釈になるわけです。
ですので、曖昧な表現を使う際には注意が必要であり、簡単に気安く使わないことが大切です。
日本の注意は必要な曖昧な表現は山のようにありますが、私自身が実際に言ってしまっが苦い体験をしたフレーズがありますので、あなたにもお伝えしておきます。
私が苦い体験をしたフレーズ
私は海外で生活した経験が多いので色々な経験が積み重なってきています。
もちろん、楽しい経験や日本人でよかったなという経験があります。
例えば、ポーランド人とインド人スウェーデン人やロシア人から日本人は人気があります。
というのも、日本語に興味を持っているポーランド人やロシア人が思ったりかなりいるためです。ですので、男性がこれらの国に行くとかなりウハウハな状態になります。
ブロンド美女をゲットしてみたい方はぜひ、日本語を教えつつ海外に出て行くのも1つの手です。
その一方で、私には苦い経験が多いです。その苦い経験の1つに曖昧な表現を使ってしまったためにミスコミュニケーションが発生したというケースです。
曖昧な表現で苦い経験をしたことは多いのですが、その中でも韓国人に使った言葉があります。
それが、
”また今度の機会に”
という言葉です。
この”また今度の機会に”は日本語であれば、
”社交辞令であり、
機会がない限りあなたには会わないよ”
といういみになります。つまりよっぽどの偶然がない限り会わない。
このような意味として使われる言葉です。
ですが、この日本語的なニュアンスは韓国人は全く通用しないと考えてください。
韓国人からすると、
”だったら次にいつ会うの”
”できれば早めに連絡してね”
このような解釈になります。
つまり、次も会うという前提で話が進んできます。
この解釈に違いに気づいた時に私自身は、曖昧な表現は相手を困らせるから、きちんとストレートに自分の思いを伝えないとダメだと痛感させれた場面でした。
それから、韓国に住んでいる時に友人から相談されたケースの1つに日本人特有の曖昧な表現でミスコミュニケーションが発生したフレーズがありましたので、ご紹介させていただきます。
このフレーズも要注意!
その曖昧な表現の1つに
”ぜひ、遊びに来てください”
とういフレーズです。
このフレーズも気をつけたほうが良いフレーズです。
韓国人からすると”ぜひ遊びに来てください”と言われると
「遊びに行っていいんだ」と考えて遊びに行くケースが普通です。
ですが、日本語として考えた場合は、社交辞令の要素が非常に強いです。
ですので、本当にその人の家に実際に遊びに行く人はいないでしょう。
このように、日本人の曖昧な表現が時として、ミスコミュニケーションを発生させてしまうという事実があります。
これは私も経験していることなので、あなたも日本語の曖昧さにかまけて曖昧な表現を多用してしまうと、会話に誤解が生まれることを認識しておくべきです。
”やはり”にもご注意を
日本人が日常生活でよく使う単語に”やはり”があります。
この単語も実は注意の必要な単語です。
”やはり”に当たる韓国語は역시です。
この”やはり”の使い方に随分の差があります。
韓国でこの”역시”を使う場面は、自分の考えたことと同じ意見だった時によく使われます。
ですので、
「東京はやっぱり人が多いですね」
도쿄는 역시 사람이 많네
と言いたい時などによく使われています。
このように、自分が予想と一致した事柄などに対して使われる言葉が”역시”です。
これに対して、日本語の「やはり・やっぱり」には主2つのニュアンスがあると考えています。
1自分の予想と一致した事柄に対して
2自分の意見を一般論と合わせるために
この2つのニュアンスがあります。
「選挙で自民党が大勝したけど、どんな感想を持たれていますか?」
このような質問があったとすると、日本人の場合は
「やっぱり・・・」というフレーズから質問に答える人が多いです。
この場合の「やはり」は自分の予想通りだという意味合いよりも、
むしろ、自分の意見を一般論と合わせるための「やはり」だと言えます。
つまり、非常に曖昧な日本社会特有の表現だと言えます。
ですので、相手の意見に合わせる「やはり」を韓国で使ってしまうと、韓国人が違和感を持ってしまいます。
実際に、私は韓国人の友達に日本人の口癖で”역시”を使う人が多いけど、
なぜこの場面で”역시”を使うのかがよくわからない・・・
このように話を聞く場面が多いです。
韓国では自分の予想と一致した場面に限って使われる”역시”ですが、日本では相手に合わせるクッション的な言葉として使う場面も多いため、お互いの誤解が生まれやすいのだと思います。
この話を聞いてから、私自身も曖昧な表現のメリットとデメリットを考えるようになっています。
日本で通用することが世界では非常識な場合もあるんだ!と考えることが多くなっています。
今回のお話のまとめ
今回は日本語の曖昧な表現が韓国では通用しないこともあるよという話です。
韓国人に限らず世界では自分の考えをストレートに表現することが多いです。
私自身も今の奥さんとデートしている時からずっと、
あなた、何が言いたいの?
とクエスチョンになる会話が多かったです。
これを受けて、私自身も少しずつストレートに自分の感情を表現できるようになってきています。
コミュニケーション力は鍛えることができます。
もっと言えば、自分の伝えたいことを鍛えることで、日本語の力が格段に上がったという感じています。
奥さんと結婚して感じていることですが、言語をマスターしようと思ったら母国語を明確に表現することが大切だと感じています。
これは、なぜなら、日本語ですら明確に表現できないのに、他の言語で明確に表現するなんて不可能だからです。
だからこそ、日本語の力が非常に大切だと痛感させられています。
日本人は先進国の中で英語が苦手だ!
という記事をよく見かけるのですが、その背景に英語教育に問題がある・・・・
という見方がよくされている記事を見かけます。
「カタカナ発音が悪いんだ」
「もっとネイティブの先生を学校に置くべきだ」
「幼稚園から英語教育・・・」
英語教育に対する見解は様々なものがあるかと思います。
どの視点も大切な考え方だとは思います。
ですが、個人的には日本語力と自分の意見をはっきりと伝える方法を学ぶことが言語の習得に非常に大切だと経験から感じています。
日本人は真っ向から”NO”と言わない性格の人が多いです。
これはこれで非常に大切な要素だとは思いますが、
”あなたの言いたいことはわかるよ”と相手に伝えてしまうと、
韓国人には自分の意見は受け入れられていると伝わってしまいます。
このフレーズも私自身が実際に経験したことのあるミスコミュニケーションの場です。
この「あなたの意見わかるよ」と言ってしまってから相手の意見に対する反論を出すと韓国人や外国人からすると
「なぜ、同意していないのに”わかった”と言ったの?」と絶対にツッコまれます。
これ、私が実際に経験した実例です。
このように、海外の人たちとコミュニケーションをとる場合には、言語を学ぶことも大切ですが、自分の立場や意見、もっと言えば、日本の歴史や文化などを自分なりの言葉に置き換える力が非常に大切です。
ですので、日本語力も鍛えて行いとせっかく勉強した言語を使えないことが多々でてきます。
今回のお話で一番伝えたいことは、
韓国語などの外国語を学ぶ上で日本語の曖昧な表現は通用しませんよ。
それから、外国語を学ぶのと同じぐらい、日本語で自分の言いたいことを明確に表現しないちと誤解が生まれますよ。
この2点です。
今回のお話が少しでもあなたの役立つ情報になれば幸いです。
長文読んで下さり、ありがとうございます。